はたち過ぎたら吹き出物

先週は肌がやたらと荒れていて、額も頬もにきびでブツブツでした。
思春期でしょうか【違】

まったく原因不明だったんですが、よくよく考えると海外に行っていた両親がちょうど帰国して、お土産に買ってきた紅茶がおいしくて数日飲んでたんですよ。思い当たることといったらそれくらいしかないので、紅茶をやめてみました。

するとあーら不思議!肌が元に戻ったじゃないですか!ということはやはり紅茶が原因だったのか、それとも単なるストレスか。紅茶で肌が荒れるという話は聞いたことがありませんでしたが、たまたま私の体質に合わない葉っぱだったのでしょうか。

そういえば最近は何だか、食品の安全を揺るがすようなニュースが多くて心配になってしまいます。肌荒れくらいで済むのはまだ、いいほうかもしれません。
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テーマ : めざせ 美肌! - ジャンル : ヘルス・ダイエット

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 昨日、ロンドンのピカデリーサーカスにある「三越」に行ったときに、ほとんどの日本人の観光客の人達が、まずは紅茶から買い物を始めていましたが、そのとき、ほぼ全員が何とかの49番とか何とかという紅茶(正確な名前と番号は忘れました)を買っていました。これは、なにか有名な紅茶なのでしょうか。それほどの紅茶であれば、一度、飲んでみなくてはと思います。
 イギリスに来て、喫茶店で、「カプチーノ」を注文するしたところ、「カップ・オブ・ティ」と聞こえたらしく(特に正確に発音しようとして力(りき)んで言うと、さらに、このようにきこえるらしいのです)、コップにティ・バッグが入れられて、それにお湯を入れた紅茶が出てきました。これを何回か経験しました。自分の英語力に疑問を抱かざるをえない瞬間です。
 イギリスの人は、夕食が終わると、少し休んでから、さらに紅茶とケーキを食べながら会話を楽しむようです。イギリスでホームステイする若い人は、この紅茶とケーキで、体重を「増強」して帰るのだそうです。英語力よりも、体重を増強させてしまうということでしょうか。

ヘーゲル先生、こんばんは。

私が被害をこうむった(?)のはTWININGSの紅茶でした。日本人は「どこそこのお店のこれが良い」と聞くと、そこへ殺到するということがよくある気がします。ブランドに弱いのでしょうか。

ティータイムといえばスコーンが有名ですが、イギリス人はそれにジャムだかバターをたっぷり塗って食べると聞いたことがあります(夕食後ではなく、午後の話かもしれないのですが)。夕食後にもケーキとなると、糖分過多になってしまいますね。姉夫婦も帰国するころには、体重を増強しているかもしれません…。

サンフランシスコのお店でカプチーノを頼んだときはちゃんと通じた記憶がありますが、紅茶文化のないところゆえ聞き間違えようがなかったのかもしれません。「コーヒー、ウィズ・ミルク!」と言えばそれらしいものが出てくるのではないでしょうか。(英国へ行ったことはないので分かりませんが…)

紅茶の世界も深いものがありますね。本屋で立ち読みしてると、イギリスのアフタヌーン・ティの習慣は、何年に誰婦人が始めたのが広まって・・・、と紹介してあります。紅茶博物館もあるようなので、立ち寄ってみましょう。
 「茶」一般で考えると、「茶道」というものの存在は不思議ですね。なぜ「道」になる必要があるのか、なぜ「流派」が存在し、免許や後継者争いでのゴシップネタを提供するのか。
 この点、「茶」の本家の中国では、飲み方はいろいろあっても、茶に関する「道」という文化があるのかどうか。中国によく行きますが、茶の専門店で、中国式の方法で作ってもらった茶を飲むのは楽しいものです。日本の茶道という領域で飲むお茶は、楽しいという次元とは違う性格のもののようです。
 もちろん、イギリスの紅茶にも「道」という文化は、本を読んだ限りでは無いようです。

ヘーゲル先生、こんばんは。紅茶博物館なるものがあったとは知りませんでした。検索してみるとThe Bramah Museum(http://www.teaandcoffeemuseum.co.uk/)が出てきましたが、これでしょうか。ホームページに日本語バージョンがあるところを見ると、日本人の来館者が多いのかもしれません。

確かに、日本の茶道は「お茶を飲んで楽しむ」という本来の目的からすると何だか不思議ですよね。
私も会社の茶道クラブ(同好会?)に誘われて月に一回、お茶をいただくのですが、お辞儀の仕方や器の回し方、そのときの持ち方、飲み方、お菓子の食べ方…など細かく指導されます。楽しむと言うよりは、作法の美しさを追求するもののように思います。

日本の「茶会」は英語で tea ceremony と言うそうですから、欧米の人には「儀式」に見えるのでしょうね。抹茶自体は美味しいのですが、飲む作法をマスターするのはなかなか大変です。

「道」という以上、たとえば千家であれば、千利休とその流派が形成してきた思想(たとえば、茶室から考える宇宙観や人生観、芸術観など)を学ぶというのが中心になるのではないかと考えます。免状も、作法という形式でなく、茶道に関する筆記試験(もしくは面接試験)が中心になるべきではないかと考えるのですが、いかがでしょうか。
 内実が消えて形式中心になると、とたんに堕落が始まる(日本の一部の伝統的宗教のように)。宗教や芸術が「形」の儀式になったとき、それはかなり惨めなものになるのではないでしょうか。
 たとえば、茶道の先生方は、茶器の売買(自分で売る場合もあれば、目利き料や箱書き料を収受するというものまで、様々な段階があるようですが)に関わる収入が大きいと聞きます(しかも、ほとんど納税申告がなされないという意味では、茶道の闇の部分と言ってもいいかも知れません)。これを堕落というのは、失礼に過ぎるかも知れません。
 茶道という世界でお茶を飲む機会があるときは、礼儀正しく、しかし作法に従わない方法で飲むことにしています(おそらく、不快を与えていると思います)。

ヘーゲル先生、こんばんは。

そういえば剣道でも弓道でも、「道」のつくものは精神面を重視していますね。それが形となって現れているのが作法なのだと思いますが、最初に作法から習い始めると「一体何のために、こんなにこまごまと決まりごとがあるのだろう」と思ってしまうんでしょうね。
茶道の宇宙観までを理解するのは難しそうですが、例えば掛け軸の題材や飾ってある花に季節のものが使ってあったり、お菓子が季節の虫や草花をモチーフにしたものだったりするので、季節ごとの風物を愛でる、みたいな精神は素人なりに感じ取っています。

>茶器の売買
それは知りませんでした。優雅な世界のダークサイドですね…。
茶道の高尚なイメージと、金銭がらみの生々しい話はなかなか結びつきにくいのですよね。それゆえに大っぴらに語られることがないのかもしれませんが…しかし茶器の良し悪しというのは、素人目には全然分かりません。マニアックな世界だなと思います。

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プロフィール

奈津

Author:奈津
198X年生まれ。
フリーランス翻訳者。
関心は雇用(特に若い世代の)とか日本語の変遷とか。
家の周りは田んぼです。

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