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猫がかわいい「Peace」が見せてくれたもの

久しぶりに、「映画」カテゴリの記事です。

8月16日に、フォルツァ総曲輪で想田和弘監督のドキュメンタリー映画「Peace」を見てきました。鑑賞前に想田監督の「なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか」を半分ほど読んでいたので、この映画のテーマが「平和と共存」であることは知っていました。でもそういうテーマであるにもかかわらず、戦争の悲惨さや人間の愚かさといった、反戦映画によくある描写はありません。

監督の義父(これも説明はないので、本を読んでいないと分かりません)が自宅の庭で野良猫を何匹も世話しています。新顔の「泥棒猫」が割り込んできて、苦慮するお父さん。彼は障害者の外出を車で手助けし、散歩や買い物に付き添います。有料ですが、ほとんど収入にはなりません。その妻、つまり監督の義母はヘルパーで、橋本さんという末期がんの男性宅を訪れて家事をしています。ところどころに、義父が猫と遊んだり動物病院に連れて行ったりする様子が映し出されます。

この二人(柏木夫妻)が手助けする人たちへの接し方が私にとっては新鮮でした。いかにも「世話をしてあげている」という感じがないんですね。障害者や病人を相手にするとなると、相手は「弱者」、すなわち一人前のひとではないという認識を前提に変に気を遣い、かえって相手のプライドを傷つけていることがあります。ですがこの夫妻は、優しく接しつつ淡々としていて、決して「世話のしすぎ」にはなりません。それが、相手に対して一人前のひととして敬意を払っているように思えました。

自分が一人のひとであるのと全く同じく、どんな人も一人のひとだから、敬意をもって接する。こじつけと言われればそれまでですが、これがもしかしたら「平和」のために必要な気持ちなのではないかと気づきました。7月にはノルウェーで、移民を嫌う青年によるテロがありましたし、ほかにも人種や宗教、国籍の異なる人を簡単に殺してしまうテロが起こっています。そういうことができる、やってもいいと思えるのは、根っこに「自分が属している集団のメンバーだけが敬意を払われるべき『ひと』であり、それ以外は『ひと』ではないから殺してもいい」という認識があるのではないでしょうか。戦争の直接の原因になるのは国境紛争や資源の取り合い、貧困などの問題なのでしょうが、その下地に「自分と属性の違う人を、敬意を払うべきひとだと見なさない」というメンタリティがあるように思うのです。これは実際に戦場に行く兵士やテロリストだけの話ではなく、そう判断する政治家やそれを支持して後押しする一般の人々にも言えることです。

一人のひとだという点では誰でも同じであって、1.2人ぶんのひともいなければ0.9人ぶんしかないひともいない。対等なのだから尊重する。書いてみるとあまりにも当たり前のことですが、これを忘れると、人を傷つけたり不寛容になることをためらわなくなるのだと思います。

世界のパワーバランスが、とか、外交戦略が、みたいないかにも「大局を見ている」かのような議論もいいですが、まずは人を、自分とどんなに違っても、同じ一人のひととして見る。そこがすべてのスタートなのでしょう。

なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか (講談社現代新書)なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか (講談社現代新書)
(2011/07/15)
想田 和弘

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テーマ : ★おすすめ映画★ - ジャンル : 映画

7月の目標達成

・CNN English Express「ライティングにチャレンジ」に応募した。

今月はこれくらいです…。
プロフィール

奈津

Author:奈津
198X年生まれ、富山県在住。
フリーランス翻訳者。
関心は雇用(特に若い世代の)とか日本語の変遷とか。
家の周りは田んぼです。

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